2012年6月1日金曜日


                    弔      辞

 亡き梅垣寿春先生の弔辞を述べる栄誉をいただける、と知った時から、私が東工大の2年生であったとき位相数学の授業を聞かせていただいたこと、また翌年から梅垣研の卒研生として関数解析のゼミに参加させていただいたこと、卒業後、先生が主催される応用関数解析セミナーに毎年参加させていただいたことなどが走馬灯のように私のまぶたに浮かんできました。
 それらはみな私にとって懐かしく素晴らしい思い出であります。先生の授業は先生ご自身がチョークの粉だらけになり、黒板拭きで黒板の文字どころか、教卓の上まで拭きながらされるという、数学への熱い思いを学生に感じさせるものでした。
 研究室におけるゼミは週2日にわたり、朝から夕方まで、時によっては夜まで続くという、迫力のあるものでした。
 それらは先生の弟子である私たちには大切な大切な思い出になっております。しかし今日は先生の別のご業績についてお話ししなければなりませんそれは社会にとっても世界にとってもとても重要なことであり、それらについて社会に伝えておくことは今はもう若くはない私達弟子の努めである、と考えるのです。
 先生はゼミでもシンポジウムにおいてもよく、数学は世の役に立たなければならない、ということを言われていました。情報理論を関数解析の一分野として取り組まれ、日本で最初の情報科学科を東工大理学部に作られ、そこでも多くの弟子を育てられたのもそのような信念によるものだったのでしょう。
 あの大戦中に軍国少年として青春を送られた先生は、次の時代を見通すような話も私たちにしてくださいましたね。たとえば、「第一次大戦は毒ガスなどの出現で理学の分野でいうと化学が主役であった。第2次大戦においては原爆などの出現で物理学が主役であった。もし第3次大戦があるとすれば今度は数学が主役になるであろう。」と言われたことがあります。コンピュータの出現はまさにその先生の予想が不幸にして当たるかもしれないことを感じさせます。先生はまた「フォン・ノイマン神社を作るべきだ」などということも本気なのか冗談なのか分からない調子でおっしゃいましたね。先生の数学の大きなご業績の一つである、量子統計の理論と、大数学者フォン・ノイマンの名とは切り離せないものです。フォン・ノイマンはプログラム内蔵式のコンピュータの生みの親であり、まさに現代の情報時代を齎した天才です。また彼はマンハッタン計画に参加し、爆縮レンズの考えを提案し原爆の開発に重要な貢献をしました。愛国青年であった先生、数学の応用が大切である、という考えに到らせた背景にはそのような事実を先生がご存知だったから、ということがあったのでしょう。また先生には、フォン・ノイマンとならんでユダヤ系の天才数学者といわれるノーバート・ウィーナーとの縁もあります。先生はウィーナーの第一の弟子であった池原止戈夫先生からの信頼が厚く、サイバネチックスというウィーナーの本の日本語訳に梅垣先生も名を連ねておられますウィーナーは高射砲の研究からサイバネティックスという数学と生物学などを結びつける重要な学問分野を考えついたのですが、そのような事実も勿論先生は知っておられたのでしょう。高射砲といえば、先生は「終戦後アメリカの数学者X(その名をお聞きしたのですが今は覚えていません)が理論通りの空襲ができたかどうか、東京の焼け跡を見て歩いていた」という話をされたことがあります。1945年3月9日、東京大空襲により一晩で10万人が亡くなったのです。このときの司令官だったのはカーチス・ルメイという少将でしたが、は戦後日本国政府から最高位の勲章旭日大受賞を授与されたのです。そのことが「太平洋戦争ミステリー」という本で最近取り上げられ話題になっていますが、梅垣先生がご健在であればその辺の謎について伺うこともできたでしょう。
 数学の応用といえば、CTスキャンの理論について、先生は重要な数学の応用成果ということでシンポジウムでよく話されていました。先生は今日の医学の進歩を見通しておられたのでしょうか? 大学を定年退職した私も最近心臓を悪くして3週間も入院したのですが、医者はパソコンの前に座り、私の心臓の鼓動する立体図を映し出し、マウスを使って色々な角度や内側から覗き込みああだ、こうだと診察するのです。大変な時代になってしまいました。軍事に限らず社会の多くの重要な分野でまさに数学が主役になる時代が来たのです。
 梅垣先生はまた中国が大好きな方でした。中国の長春に東工大からの訪問教授として何度も数学を教えにいっておられました。 その成果は日、中国の科学力の基礎となり、中国を大きく発展させているのです。
 先生の偉大さを語っていますと尽きることがありません。
 永遠の眠りにつかれた先生、数学が人類の理性として人類を更なる高みに導くのを見守っていてください。
   平成24年5月29日
                 信州大学名誉教授   中村八束

注: 梅垣寿春(うめがき ひさはる)先生は2012.5.22 に逝去され、2012.5.29 に告別式が行われました。 上の内容はそのとき中村が述べた弔辞を自身のブログで紹介したものです。